流れのほとりに植えられた木。。。

東神戸チャペル

主の教えを喜びとし。。。その人は流れのほとりに植えられた木。」詩篇1:2−3    時々、人が聖書に対する思いは「重い」です。つまり、聖書に書かれている言葉はただ難しくて、重い、守らなきゃルールにすぎないものとして理解してしまう。でもこの視点がいつも大切な単語を見逃してしまう。「喜び」。私たちは聖書をただの「宗教ルールブック」みたいに扱ってしまう時に、ルールを守ることはただ「罰せられない」ことになってしまう。例えば、とても厳しくて、「完璧性」の方と過ごすと、生活は基本的に「争いを避ける」ための歩みになってしまう。あれすれば、安心。。。時々聖書をこのように扱ってしまうかも知れません。でも「主の教えを喜ぶ」ことにならない。やはり主の教えを喜ぶようになるために、まず主ご自身を知らなければならない。まず、汚い姿のままで、神様に近づいて、祈りを通して声をかけなければならない。そこでイエス・キリストのうちにある神様の不思議な恵みと出会う。自分を「子供」としてくださる神がいっらしゃる。その「関係」の中で、主の教えに対する考え方が変わる。「重い」から「喜び」へ変えられる。。。不思議に。もちろん、一瞬で変わらないかも知れないけれど、日々にイエス・キリストに見上げ、近づくことによって、神様の言葉が私たちの喜びになる。それで、私たちは日々に本当のいのちに満たされる。

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